
15 6月 『我が漆絵を語る』
松岡太和のメッセージ
(1)『帝国工芸第八巻第十一号』(昭和9年12月発行)より再録

多くの人は漆というと工芸的なものばかりに目を向け、それは昔も今もほとんど変わらない。ようやく漆で絵画的な効果を得ようと墨絵を習っても、漆工技法を駆使する。漆を希釈して、水墨のように扱い、モノクロームの絵画を描いていた。使用する素地には絹や紙があり、ようやく絵の域に書き上げたとしても、水墨画の持ち味に比べようがないのだ。
しかし、私は若くして洋画を志し油絵と素描を習った。ようやく世に認められて二科展で作品を公表ようになり、自他の油絵を検討することがしばらく続いた。日本のように湿気の多い風土では油にカビが生えやすく、防御するのはたいへん難しい。作品を崩壊させるのは明らかである。さらに顔料の不純は変色や褪色の原因となり、ながくても百年以内には作品の生命を亡ぼすことは明らかだ。そう考えたとき、油絵は画家の終生の仕事ではないと痛感した。
一方で、私が漆を愛する気持ちは日に日に熱くなり、その香りや色の両方が心に浸透するのがわかった。漆工の道に入ってすでに十余年。上野の美術学校で彫刻研究の5年間は、常に漆工科に通って理論の聴講を行なった。さらに漆師屋の工房に出入りしてその技法を修め、理論と技術を一応自分のものにし、さらに彩漆の研究に精進した。
たまたま楽浪の発掘は世間を驚かし、漆工芸品が二千年も泥土に埋没してもなお形を留めていたことが実証された。このことから私は躊躇することなく、自分から漆絵の創作に突進することとなった。
彩漆の特性から東洋画風に用いるのは難しく、むしろ油絵の技法こそ彩漆を生かせる。しかし、それが分かっていても、漆絵はまた漆絵の特殊な画技を知る必要がある。すなわち模様としての蒔絵ではなく、また密蛇絵風の彩漆の紋ではなく、純正美術として漆絵を描くには、この彩漆を自分のものとして自在に扱えなければならない。その上で、写実に徹する象徴的な装飾画に、目指す漆絵があることを知った。
西洋に漆はないが、最近東洋から漆を輸入して利用人がますます増えている。彩漆画を描く作家が各国にいるのを見れば、今後の漆絵界もまた複雑多岐といえるだろう。私は日本に生まれ、漆技においては世界に冠たる国の芸術を振興させようと思うと、何を苦しんでまで油絵のように日本の風土に難しい技法に終始しなければならないのか。油絵に比べて、堅牢さや色調の渋味において遙に優秀な漆絵こそ、我々の風土の特異な美術として今後の発展の可能性が十分であると思う。私はその先駆として、甘んじて茨の道を進まなければならないとかたく決心している。
実に前人未踏の域であれば、顔料を吟味することはもちろん、素地の作成にまで注意を払わなければならない。油絵のチューブより押し出してパレット上で混色して直ちに使用できる油絵具が販売され、キャンバスを自由に買い求められることと比較し、または日本画の顔料が画家の望みに応じた良いものを得やすく、紙や絹のために不自由することがないことを比較すれば、漆絵は同列の比ではない。

しかし、材料を簡単に得られないとか、技法の難易などはささいなことである。漆絵は珍しいために尊いのではなく、強いためだけにこれが勝るとも考えない。ただ作品の気品だけが品位を決める。私は幸せな画家である。画壇界のすべてを研究した後、漆絵の形式とその固有の持ち味をいかすことが最も良いと悟ることができたのである。
今回の工業倶楽部に展開している16点の作品は油絵として表現できる物である。また日本画として表現することもできるが、私は愛する漆絵だからこそ、自分の心を語りやすい。いわば心の発露である。写生している絵画は油絵が多い。私は油絵を漆絵の下絵に使用している。心中にうずめてこれを表現するためである。日本の装飾画派の伝統は強く私を支配しているが、だからこそ我々は新しい漆絵の上にこれを生かしていかなければならない。
これまで漆は黒か朱色を特色とし、最近発見された白色顔料のおかげで彩(いろ)漆(うるし)を自由に使用できるようになった。これは未だに新しい現象である。
この白色顔料の発見こそが漆絵を可能にし、これまでの原色的な色調に濃淡の自由な調子を与えることができた。これこそが、彩漆の面目躍如ができたといえる。この褪色しやすいレーキ顔料を中心に使用することは、むしろ礼讃するべきではない事実である。
現在漆に混ぜて使用している鉱物性の不変色の主なものは、赤色、朱色、橙色、黄色、緑色、暗青色、茶色、銀灰色、黒色、白色などの各色がある。これにブルシャンブルーの青色を加えれば、色調として何の不自由も感じない。調色の板上に五六十色の色を得ることが容易である。黒色は漆の黒色を置いて他に求めることのできない妙味がある。この外に金属粉として金、銀、錫、アルミ等、その他の純白色に卵殻粉などそれはそれは、実に多い数に上る彩漆の原料を計上することができる。これらが漆技に生ずる効果を知って活用することこそ、作家の頭脳にかかっているといえる。

顔料は漆で練りチューブに入れて油絵のように処理することができても、湿温で乾燥させるには乾くのが難しくなることを覚悟しなければならない。使用に応じて彩漆を作るほうが、乾燥させたときに良い結果を得られるのはご存知のとおりである。しかしながら、これを高温硬化で使用する場合は何らかの差し支えも感じないし、誠に便利であって労力を節約することができ、極少量の色を望むときなどは、チューブより押し出して使用するときは実に重宝だ。
乾燥方法として湿温と高温硬化の二通りある。今回の出品作品中の大部分は鉄板、アルミ板を使用して、高温硬化の方法を取った。すなわち金属板面の漆の固着しやすい粗面としてこれを漆に塗り、電気炉の中に入れておよそ摂氏100度~百五十度ぐらいまでの熱で焼き付ける方法だ。5,6時間~3時間ほどの間に漆は硬化し、非常に堅い皮膜を形成して、金属板面に固着するのである。

昔の甲冑(かっちゅう)(戦いのとき着用する武具)に漆を塗っていたときは、皆この焼き漆の方法を用いていた。これをただ装置にした電気炉の中に入れて、塵が付着するのを防ぎ、さらに数回炉の中に入れて絵画を焼き付ける方法を取っている。木材の素地に下地をして絵が描けるものは、湿気による乾燥方法をとらなければならない。木材は耐熱性を持っていないからである。両者の彩漆の発色において大差はないが、湿室は乾燥までに少なくとも一昼夜を要し、砥ぐまでには二昼夜を要することも多くある。これに引きかえ、高温硬化は三時間ほどで支障なく硬化することを思えば、自然にこの方法を利用するのは当然のことである。ただ鉱物性の彩漆を用いるといっても、色によっては熱のために幾分色が変わるものがある。高温硬化と湿温用は、色の化学的性質によって同色であっても区別して使用する注意が必要である。
さらにこれを仕上げるには、砥き出して下層の彩漆層を露出するようにする。初めて描いたときの色調に近づくためであり、年月を経るに従ってますます漆の透明性が増し、色調の冴えを見ることができる。

しかし、漆の乾燥にしたがって生ずる暗い渋みは、漆絵の持つ唯一の特徴だ。一種の気高い落ち着きと渋みを漂わし、独自の画面を形成している。暗さはもちろん明るい画面でさえ、漆ならではの光沢による渋みを見れば、他の画面の追従を許さない。
明るい調子、華美なる色調もある程度までは出すことはできるが、今や絵画としての漆絵は、油絵、水彩画、日本画と比肩して、その一翼担うべき充分の理由がある。今後将来の日本的な絵画形式として、ますますその進展を期待することになるだろう。
さらに、漆の強靱性を利用する従来の工芸的分野はもちろんのこと、新しい装飾的傾向として、あるいは部屋全部を漆で調えるような使い方も考えられる。船室や旅客機の装飾として、漆絵は壁画を飾るのに最もふさわしいといえる。
フランスのジュナン(一流の漆芸家)が造ったといわれる船室が、火災で最も早く火を呼んだという話題は、日本人が聞けば不思議に思うことである。なぜかというと、漆の部分が他のペンキやニスを使用した部分より早く火を呼ぶわけがない。しかし事実であるとすれば、漆と称して漆だけを使用していないことは明らかである。セルロイド質のラッカーなどを混用すれば、火を早く呼ぶことは当然のことだ。我々の経験によれば、焼漆を施せる鉄板をホウロウ窯の摂氏800度ほどの火気の中に入れて炎を出すまでには二十秒程度かかる。いかに有機質の塗料として耐熱性に優れているかを知って欲しいものである。
終わりに、ドイツ大使のデイルクゼン閣下夫人に感謝を捧げる。夫人は外人として最初に私の漆絵の知己である。お茶の会の招待を受け、夫人のお人柄に接して一層その感を深くした。竹籠を愛する心境、そしてその趣味を知るために、私の漆絵の展覧会初日に来場された。作品全部が非売品であるのを見て遺憾とされ、特に希望されたため会心の作を贈呈した。永くドイツに留まって、日本の漆芸術のために大いにがんばりたいという気持ちからである。