
15 6月 「漆絵の独立」
松岡太和のメッセージ
(1)美術雑誌『アトリエ』 1935年(昭和10年)1月号
漆絵とは漆を用いて描かれた絵画である。油を使用する油絵と同じ意味を持つ。今ここであらためて「漆絵の独立」をいう理由は、漆絵といえば私たちはすぐに工芸的蒔絵を連想する。それほど今まで漆絵の作品が皆無だからである。
純正美術の中にようやく漆絵を見つけることができるが、これも紙絹に描かれた墨画に比べ漆のよさを発揮できていない。私は去る11月11日(1934年)より4日間、日本工業倶楽部で自作の漆絵16点を発表した。我が過去十年間の研究の結晶である。これが将来日本でいかなる波紋を投げかける導火線になるか未知数だが、手ごたえは十分にあったと自信をもっている。独立した絵としての創作である。以下簡単にその特技を記述して他の画技との比較をしてみよう。
漆絵は特に日本での誕生がふさわしい。ローカルカラーの濃厚な美術として、将来の発展にも大きな可能性がある。漆は東洋のみの産物であることは衆知の事実であり、現在も日本が最も良質の製漆を得ることができる。
この漆液の乾燥した皮膜はいかなる強酸といえどもビクともしないし、如何なるアルカリといえどもこれを浸食しない。熱に対しては摂氏300度位までは耐えられる可能性があり、しかも適度の弾性と強気固着力を持つ。塗料として漆の右にでるものがないことは、すでに科学的に実証済みである。漢代の楽浪古墳より発掘した漆器が、2,000年間泥土中にあってにもかかわらず漆の皮膜にたいした変化がないことは、世界中の人々を驚嘆させた。
飴色をした透明な漆液を用いて、漆用の顔料を練り合わせたものが漆絵具である。色の種類は赤、朱、橙、黄、緑、青、茶、褐(濃い藍色)、銀ネズ、白、黒など、鉱物性の不変食を得ることができる。その他、レーキの中にも相等堅牢な色が2~3あり、これだけの色があれば十分である。漆絵を描くために50や60の色調を出すにも不自由はしない。さらに金粉の中にも漆と調和を示すものが多く、従来の蒔絵風の技巧を新しく生かす術も考慮すべきだと思う。
ただこれらの漆絵具は、発色の点で考慮しなければならないことがある。乾くと全体に渋味のある色調になる。白色も油絵具のような純白色を得ることはできない。単独でみれば象牙色の白さであるが、色の対比を考えて処理すればさらに白色度を強めて感じさせることもできる。その他の色調もすべて、ある落ち着きを示した渋さが画面を統一してくれる。これがまた住居において日本間、洋間の区別無く漆絵が調和するわけだと思う。この暗さは年月の経過と共にだんだん取り去られて、ますます明るさを加えていく。漆の皮膜が透明性を取り返して行くからである。
画技は複雑ですべてを述べられないが、絵具は油絵より粘りが強い。剛毛の刷毛を使用して描くことなど、油絵と漆絵にも共通の技巧がある。描いた絵は乾燥室に入れて乾かす。普通は湿室(ムロ)と称する戸棚の内面を湿して、湿り気を増したものを使用する。ちょうど梅雨の温度と湿度が最も漆の乾燥に適しているから、その状態を通年保てるようにした装置だ。他に高温硬化法がある。これは摂氏100度から150度くらいの熱で漆を硬化させる方法で、温室より乾燥が早く堅固な内膜ができあがるが金属板上に描いたもの以外は処理することができない。昔の甲冑(かっちゅう)(戦いのとき着用する武具)漆塗りは焼漆と称して皆この高温硬化法を利用している。
この乾燥の段階後にさらに重要な手入れをして仕上げることになる。それは砥ぎである。砥ぐということは工芸的な感じがするが、漆が乾燥する場合にその表面が一層暗くなる傾向があり、そうでなくとも顔料が下層にしずみやすい。したがって表面は漆の褐色が強く、顔料が少なくなっている。これを砥ぎ上げて上層を取り去り、表面を平滑にして初めて描いたときの感じを表すのである。しかし、まったく砥がずに画面を完成するような描法も可能だ。砥ぎ上げた上にさらに描き足して行く場合もあり、画技としてはもちろんかなりの努力を必要とする。
そして特にここで強調したいのは、油絵の不安な画面に対して漆絵の安定した永久性である。日本の風土に適さず、しかも不純な顔料による悲哀を見せつけられている画家への警告でもある。画家はついに自らの手によって練る絵具以外に、安心して使用できるものを見つけることができるのだろうか。湿気とカビとは日本の油絵を今に破滅させてしまうだあろう。古画のヤニ調を何と見るか。漆絵は年と共にますます明るく初めて描いたときの調子を保つに比べ、他の画面は暗くなり、ついに原画の面影を失うことになる。この点でも漆絵こそ今後の日本で大成されなければならない、日本的な新画技だと思う。よって「漆絵の独立」を宣言するのである。