漆(うるし)絵(え)について

身近にあった漆器

松岡太和のノートには、
漆絵の色の配合など記録が残されています。

松岡太和の描いた「彩(さい)漆画(しつが)」は、漆工品に文様として加飾として描く「漆絵」とは異なります。多彩な彩(いろ)漆(うるし)で描いた“絵画”です。日本画、水彩画、油画と並ぶ、新たなジャンルを確立したいと奮闘した絵画が「彩漆画」なのです。通常の絵を描くよりも、はるかに長い時間を費やさなければ描けません。それは漆ならではの特性に起因しています。「彩漆画」を理解していただくためにも、まず漆に関する用語を紹介します。

 

主な漆工技法・用語

 

漆器(しっき) 漆の樹液を塗った器物。お椀や重箱、箸など、日常で使うもの。
漆(しつ)芸品(げいひん) 蒔絵など華やかな技法を施した美術品を表す。
漆の特質 強力な接着力 塗り乾いたときの堅牢さ 表面の光沢
蒔絵(まきえ) 漆を塗った上から漆で絵を描き、金銀粉を蒔きつけて固まらせるもの。
平安時代前期(9世紀)に日本で考案され技術を高めていった、日本独特の技術。大別して3種類ある。
平(ひら)蒔絵(まきえ)…漆で模様を描き、そこに金粉を蒔きつけたもの。
研(とぎ)出(だし)蒔絵(まきえ)…平蒔絵の上にさらに漆を塗り、乾いた後目の細かい墨で金粉面まで研ぎ出すもの。
高蒔絵(たかまきえ)…蒔絵部分の下地を盛り上げて蒔絵したもの。

その他、蒔絵の地(空間部)の装飾として三種類ある。
沃懸地(いかけじ)…全面に金粉を蒔き詰めてしまうもの(金地)。
梨地(なしじ)…梨の実の皮のように点々と金粉を蒔いたもの。詰(つめ)梨地(なしじ)濃(こい)梨地(なしじ)淡(あわ)梨地(なしじ)
・金粉をまったく蒔かない漆面のみのもの。
螺鈿(らでん) 貝片の輝きを装飾する技法。夜光(やこう)貝(がい)、鮑(あわび)などの貝片を磨き、文様に切り、漆で塗り込む装飾技法。すでに正倉院の時代(奈良時代から平安時代)に中国から伝来(青(あお)貝(がい)ともいう)。
金(かな)貝(がい) 青(あお)貝(がい)(螺鈿)に対する語。金属片を磨き、文様に切って漆で貼り込む装飾技法。特に細長い線状のものを切(きり)金(がね)と呼ぶ。
象嵌(ぞうがん) 漆器の装飾に玉、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう)や陶(とう)片(へん)、染(そめ)角(づの)などを売る誌面に塡め込む技法。
密陀(みつだ)絵(え) 漆面に描かれた一種の油絵。荏油(えのあぶら)に顔料を混ぜ、密陀(みつだ)僧(そう)(一酸化鉛)を乾燥剤として用いたものからの名称。
漆(うるし)絵(え) 漆に顔料を混ぜて彩漆をつくり、それで描いた装飾技法。
彫(ちょう)漆(しつ) 漆を数百回塗り重ね、漆の層をつくり、これに文様を彫り込む技法。堆(つい)黒(こく)堆(つい)朱(しゅ)などの和名がある。この技法に似せ木彫りに漆を塗ったものを鎌倉彫(かまくらぼり)という。
漆塗り(うるしぬり) 漆の特質を生かして、器物に堅牢さを与え、表面に光沢のあるものした装飾技法。その技法・用途・産地などにより種々の名称がつく(例:溜(ため)塗(ぬり)・真(しん)塗(ぬり)・蝋色(ろいろ)塗(ぬり)・変り塗(かわりぬり)・鞘(さや)塗(ぬり)・根来(ねごろ)塗(ぬり)など)。
存(ぞん)清(せい)(存星) 漆面に線刻で文様を描き、朱・黄・緑・黒などの彩漆を埋めて飾る中国の漆芸技法。塡漆ともいう。
蒟醤(きんま) 存清とほとんど同様の技法。タイ、ミャンマーで制作された。

 

東南アジアでしか生息しない漆

「china」といえば陶磁器を表し、小文字の「japan」は漆器を表す語として知られています。しかし、最近は「japan」を漆器と呼ばれていないようです。陶磁器に比べて漆器の需要が低迷しているからでしょうか。漆の素晴らしさをもう一度見直し、また漆絵の素晴らしさを知っていただきたいと思います。

漆は漆の木から取れますが、漆樹の自生は東洋にしか分布していませんでした。日本、中国、朝鮮、台湾、ベトナム、ラオス、タイ、ビルマなどのアジアの東南部です。漆樹の種類は何十種類もあり、生育する地域で木も花も違い、漆に使われる樹液も違います。日本の漆液は採りたては灰褐色ですが、これに鉄分などを混合して科学的に黒くするのが日本の黒漆です。長い年月の間にはようかん色に変色することがあります。一方、南方の樹液は真っ黒です。南方系の漆は天然産のままで何百年経っても真っ黒で変色しません。

彩(いろ)漆(うるし)は自分で作るしかない

 

漆の木から採集した漆液は、そのまま天然のものを生(き)漆(うるし)といい乳白油状の汁液です。これを精製して水分を飛ばしたものを木地蠟(きじろ)漆(うるし)といいます。黄味をおびた茶褐色の半透明な漆になります。これにいろいろな鉱物性の顔料をまぜて各種の彩(いろ)漆(うるし)が作られます。

どのような顔料でも発色するわけではありません。漆特有の化学変化を起こすため、発色可能な色は限られていました。顔料は時代によっても異なり、現在は科学的に製造することが多いようです。
赤色系:朱漆…古くは天然の朱砂の粉末。人工的に製造された赤は硫化第二水銀。銀朱・本朱・洗朱・硠朱。
弁柄漆…古くは赤鉄鉱。化学的には酸化第二鉄。紅柄とも書く。
黄色系:黄漆…石黄は天然にも産し、人工的には三流化砒素、他にクローム・イエロー、カドミウム・イエロー。
緑色系:緑漆…古くは石黄と藍を混合。石黄にプルシャン・ブルーまたは藍蠟(ろう)を混ぜた青漆粉か、これを油で練った青光を用いる。他にクローム・グリーン。青漆ともいう。
褐色系:潤(うる)塗(み)…黒漆に朱または弁柄を混合。
黒色系:黒漆…古くは胡麻油または菜種油の油煙の掃墨。松根または樹脂を燃焼した松煙。鉄屑。

これら以外の色は、みな漆に混入すると消されて発色しません。だからこそ白色の彩漆を作ることは不可能とされ、白色の感じを出すためには密陀絵を用いるとか、相当苦労をしたとされます。密陀絵は一種の油ですから白色をはじめ多彩な色が可能ですが、漆面には漆絵ほどなじまないという致命的欠点があり、いつの間にか途絶えてしまいました。やがて昭和に入り、二酸化チタニウムによって白漆の製造が可能になりました。白漆用の白色顔料を各色に染めたものをレーキ顔料と呼びます。松岡は「この白色顔料の発見こそが漆絵を可能にした」といいます。しかし「褪色しやすいレーキ顔料を母体として使用することは好ましくない」と苦言を呈しています。

彩(いろ)漆(うるし)は使う直前に、必要量の木地蠟(きじろ)漆(うるし)に顔料を入れて手練りして作ります。たとえば彩(いろ)漆(うるし)を作り長い間保存した場合、化学変化を起こし、乾燥しないものに変化する場合もあります。ですから油絵具のようにチューブに入って市販されることがありません。色に関しても漆の厄介な特性があり、「漆絵」の作業工程の大変さが浮かび上がってきます。とはいえ、彩(いろ)漆(うるし)の渋味をもった深味と潤いのある色彩は、他の絵具では出すことのできない漆特有の魅力です。

 

 不思議な特性をもつ漆

 

漆は乾くと実に強く、簡単には融けなくなります。揮発油やアルコールはもちろん、酸類、塩類、電気にもびくともしない対抗力をもちます。松岡が「漆絵は何百年ももつ」というったことはこのことです。しかし、漆が乾いてこそ強靭になりますが、乾かないことにははじまりません。その乾き方が漆の場合は、実に厄介な条件があります。

 

温度でいうとふつうの空気の場合、漆は摂氏40度~0度で乾燥し、それ以下になると乾燥は止まります。また、摂氏40度以上なると乾燥が止まり、さらに摂氏80度を超えるとまた乾燥します。ふつうは5~6時間で乾きますが、漆の塗られた場所や条件によって少しも一定していません。つまり毎日乾燥度が違い、春夏秋冬違います。乾いてからでないと次の作業ができないのですから、油絵のようなわけにはいきません。

この不思議な乾き方をする漆をいっぺんに乾かし堅くする方法が、高温硬化法です。摂氏100度~120度以上の温度にあてれば簡単に乾く上、じつに丈夫に乾きます。これは昔から鎧(よろい)や冑(かぶと)、馬具などに施された焼付け法です。そして、もう一つの方法が湿温法です。湿度80~90%の漆風呂に入れて初めて乾燥をはじめます。湿度が高すぎると漆が縮んでしまうので、湿度の管理にも勘を働かせなければなりません。松岡は高温硬化法をとっていました。「ただ鉱物性の彩漆使っているとはいえ、色によっては熱のために幾分色が変わることもあるので、高温硬化と湿温用は色の化学的性質よって同色であっても区別して使用する注意が必要である」と松岡は注意を即します。それほど漆は繊細であり、工程が複雑なのです。

 

研ぐ作業も大切

 

漆は塗っては乾かしの繰り返しといわれますが、実はもう一つ「研ぐ」という工程も入ってきます。漆塗りと研ぎは同等といえるぐらいに大切な作業で、塗り→乾燥→研ぐ、この作業の繰り返しが行われる結果、鏡のように平らな面が作り上げられていくのです。一般的に下地を研ぐ場合は砥石が用いられ、塗面を研ぐ場合には研炭が用いられます。松岡も研ぎに関し「漆が乾燥する場合に表面がいっそう暗くなる傾向があり、そうでなくても顔料は下層に沈積しやすい。つまり表面は漆の褐色が強く顔料が少なくなっているので、これを研いで上層を取り去り、表面を滑らかにして初めて描いたときのような感じにするのである」と語ります。また、月日が経つことに漆が透きとおるため「漆絵は年と共にますます明るく、初めて描いたときの調子を保つ」と漆絵の魅力について語ります。何年経っても乾いた布で拭くだけで、漆絵は美しさを保ちます。

 

<参考文献>
・『うるしの話』 松田権六著 岩波新書
・『日本の漆芸5 漆絵・根来』中央公論社
・『近世の蒔絵』 灰野昭郎著 中公新書
・『漆─うるわしのアジア』大西長利著 NECクリエイティブ
・『漆芸─日本が捨てた宝物』更谷富造 光文社新書
・『漆の文化─受け継がれる日本の美』 室瀬和美 角川選書