松岡アヤ
松岡は奈良県の比布(現・奈良県宇陀市榛原区比布)に生まれ、上京するまでの幼少年期を奈良の地で過ごしました。松岡が活動した大正から昭和のころ、日本の美術界は欧米の導入期から黎明期にありました。その中にあって、一人日本の伝統的な美術の技法を取り入れ、欧米の美術と融和を図り、漆絵と称される独自の画境を創り上げました。くしくも、榛原が古代漆部の里であったことも深いご縁があったと思われます。
松岡の青年期は、世界が戦争に突入した激動期でした。国を挙げて軍国主義の暗い悲惨な戦時下にあっても、レビューの踊り子や、裸婦の群像、高原の牧場などを描いています。さらに、戦争が激しくなるにつれ、青年期の美術教育に情熱を燃やしたことも、松岡の真骨頂を見ることができます。戦後は、コマーシャル美術の先駆ともいえるビールを飲む騎士像のタペストリーを描くなど活躍しました。
絵を描くことがなによりも好きだった松岡は、死の直前、残された作品を散逸しないようにとの言葉を残しました。松岡の彩漆絵に対する真摯な取り組み、また研究は死ぬまでおさまることがありませんでした。これほどまでに情熱を傾けられるものに出会えた松岡は、一人の人間として幸福な人生であったと思います。
追記:
2006年11月8日に松岡アヤさんは亡くなりました。私がホームページの原稿を書き終え、お借りしていた資料などもすべて戻した直後のことでした。 縁あってこのホームページを見ていただいている方々に、彩漆画の素晴らしさと同時に、彩漆画に大きな夢を託したひと組の夫婦の情熱を感じていただけたら嬉しく思います。(コピーライター吉沢)