
15 6月 「大阪三越漆画個展随想」 松岡正雄
松岡太和のメッセージ
1963年9月号『日本漆工』掲載
展覧会初日の来場者の中に、H氏という初対面の薬剤師いた。大和宇陀郡大宇陀町の人で、私が少年の頃父母の薬を買いに行った古い漢方薬店の人だという。店には常に眼鏡をかけた老婆がいたのを覚えている。その当時から考えると孫に当たるこの人に代替わりしているのだろうが、昔の屋号をいわれて直ちに思い出したほど印象深い。そして強い喜びを感じつつ、漆のことや私の漆絵の話しをした。この大宇陀町を中心とする地方は古くから阿貴野と呼ばれ、日本武尊(やまとたけるのみこと)の遊猟の地、阿貴山、漆の発見の地として、漆工史を繙(ひもと)いたものは初めに必ず読まされる伊呂波字類抄の伝説の地である。
日本武尊の熊襲(くまそ)征伐(せいばつ)が西紀1世紀の終り頃で、数ヶ月で平定後(へいていご)次(つぎ)の東夷(とうい)征伐(せいばつ)に出かけられるまでに十年程の間がある。宇陀阿貴山の遊猟があったのはこのときと想像してよいのではないか。大和朝廷頃の狩場は吉野や宇陀が常に使われていたらしい。現在のように禁猟期を設ける必要がないほど鳥獣は山野に満ちていたと考えられるから、気候のよい初夏の頃の草食獣が肥満したのを狙ったであろう。推古時代の薬猟も初夏に行はれた記録がある。阿貴野は宇陀川流域の小丘陵平野で阿貴神社もあるが、阿貴山はその周辺のいずれの山を指すかはっきりしていない。
尊が初夏の漆樹の盛育期の山野を歩きまわられて、崖を登ろうとして樹の枝に手をかけ引きよせた途端に枝が折れて意をはたさず、樹液が手に付いてみるみるうちに茶色から黒くなる。水で洗っても落ちないでますます黒くなるし、幹に残った折れ口からは同じように樹液が流れ出しているのに眼を留められた。そこで家来の床(とこ)石(ばの)宿(すく)尼(ね)を招いて種々お話しをされ、誠にこの樹液を採取して器に塗ってみるように命じられた。それが後日成功して尊のお使いになる器を塗るようになり、漆部の官に命じたという話である。
この伝説がもし事実としても、尊の手に付いた黒液から漆塗に発展するまでに相当の飛躍があると考えられる。青森県八戸市郊外発掘の縄紋晩期の土器にはすでに漆塗が見られるし、西紀57年の後漢光武帝の中元2年に我国の使節が初めて支那大陸を訪ねてあの漢倭奴国王の金印を受けているから、大陸との交通も頻繁だった九州豪族の熊襲(くまそ)が、渡米の漆器ぐらい所持していただろうことも想像できる。大陸では西紀前三世紀の戦国時代から漢代にかけて漆工はすでに完成されているのだから、熊襲降伏の献上品中には漆器の宝物もあったかもしれないのである。漆が床石足尼に命じて短期間に漆塗が出来上がるとは考えられないから、民間では何かその素因になるような仕事がすでに行われていたと見るべきで、漆部の官に命じて生産の序列に乗せられたのであろうと思われる。大宇陀町付近にはき嬉河原という村があり、これが古くは漆ヶ原だったといわれているほど漆樹の野生も相当見られたらしいが今は影を消してしまった。
大宇陀町の薬剤士H氏とは今後交友が深まるにつれて、日本漆器の縁深きこの地と漆との関係を何等かの意味で顕彰してみたいと考えている。
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戦前戦後を通じて漆絵のためにグループ展を開いてきたことはすでに20数年の長きに渡る。初めは自分の漆絵試作3点が昭和7年春の春台美術展に公表され、続いて9年に日本工業倶楽部で個展を開いたのが動機となって、11年頃から漆絵協会のグループ展が初まった。当時としては漆で絵を描こうなどと考えることは無法な話しで、柴田是真が過去にいた特殊な作家として知られているにすぎなかった。戦後も東京三越本店などでグループ展は6回に及んでいる。思うことが自由に主張できる点では、個展に越したことはないと知りつつ、展覧会を量的に大きくすることが宣伝の目的には必要であるし、作家が多くなることも好ましい傾向であるから、現在まで続けてきている次第である。
今度大阪で個展をやろうと考えたのは、この2,3回のグループ展で陳らべた作品のうちから自選して20点くらいは陳列できる自信があったからだ。漆絵に関する限り関西とは全く無縁に今まで過ごしてきたことを後悔しての気持ちもあった。漆の魅力に憑かれて40年の歩みを、わが故郷の地に持って行ってよく見てもらう決心をしたのも少々遅きに失した感があった。
色彩の豊富な絵や模様は漆の世界には無かったために、自分が根本的な苦心をして作り出した多彩な色彩の画面は、漆絵という先入観には合致しがたいようだ。東京ではデパートにおけるグループ展の度々の宣伝効果で、漆も近頃は色が多種類使えるようになったという程度の認識はできているようだが、大阪では相当の専問美術家や建築家にも不思議がられたので説明に時間が必要であった。カシュウ絵、ポリエステル絵、ビニール絵、等々プラスチック絵画も大いに研究して良い作品を作り出すことは結構なことであるし、その樹脂特有の長所を発揮して絵画のマチエールにすることは興味深いことである。ウレタン、エポキシからデルリン、カーポネイトと新分野はますます拓けて行く素材ではあるが、いまだ漆ほどの過去を持っていない。漆は長所も短所も知られた安心して使用できる長い試練を経て来たマチエール(素材)である。とりわけ最近の高分子化学の研究によってその抜群の長所が確認されことで、さらに進んで漆の欠点とする所にメスを入れ、実際に漆を使用する作家と協力してより完全なものへと進展させるべき時がきている。