松岡太和の掲載論説文

TAIWA MATSUOKA Discussing My Urushi-e
『帝国工芸第8巻第11号』(昭和9年12月発行)掲載

なぜ漆絵をはじめたのか。また、彩(いろ)漆(うるし)のことや乾燥の方法などを書いています。70年以上前の画家のメッセージです。この年に松岡は彩漆画の個展を開いています。

TAIWA MATSUOKA's atelier
美術雑誌『アトリエ』(昭和10年1月号)掲載

漆は東洋の産物であり、漆絵は日本においてこそその誕生がふさわしい。絵画としての漆絵の魅力を語っています。

TAIWA MATSUOKA's Elephant Art

『日本漆工』(昭和37年1月号)掲載

戦前の1936年「日本漆絵協会」を、戦後は1955年に「日本漆画会」を開きグループ展を開催している。このメッセージは1955年から1963年に毎年三越で行われたグループ展の感想を述べています。

TAIWA MATSUOKA's Magazine

『日本漆工』(昭和38年9月号)掲載

戦前の1936年「日本漆絵協会」を、戦後は1955年に「日本漆画会」を開きグループ展を開催している。このメッセージは1955年から1963年に毎年三越で行われたグループ展の感想を述べています。

TAIWA MATSUOKA's book pages

『松岡太和』画集からの抜粋(昭和48年8月発行)

この時79歳の松岡は、半世紀にわたる彩漆画をまとめて振り返っています。そして、これからも新しい研究は続いていくと書いています。この5年後に松岡は84歳で亡くなりますが、探究心はいつまでも枯れることはありませんでした。

TAIWA MATSUOKA Horse Art

『漆文化』日本文化財漆協会 (昭和50年会報5)

多くの雑誌に寄稿している松岡ですが、手元にあるもののなかでは最後のメッセージです。故郷の奈良は古来より漆の里であったということが書かれています。