「第五回漆画展に就て」    松岡太和

5th Urushi Art Exhibit

「第五回漆画展に就て」    松岡太和

松岡太和のメッセージ
1962年1月号『日本漆工』掲載

“5th Urushi Art Exhibit”

三越での漆画展も五年目をむかえて少し目先を変えてみた。絵画的な創作の方向から、室内装飾という広い分野の仕事を加味してみようと計画を実行した。考え方によっては絵画も室内装飾に使われるので、分けて考える必要はないともいえる。ただし工芸的装飾性と絵画的表現とは、根底においてまったく別のものだ。工芸的装飾は環境が育む美的感性から生まれて来るし、絵画は生命の叫びの表現である。

絵画が具象の限界を放れて抽象に入った場合など、根のない装飾的感覚だけで仕事をする危険に陥りやすい。もちろん両者の中間のもの、あるいは反対に入れ込んだ趣味的描写絵画と宗教タピスリーのような場合も多い。戦後の本会の運動としては、戦前すでに「日本漆絵協会」が使命としたように漆絵という絵画の一部門を作ろうとする目標のもとに、工芸的な単なる技法を抜けることに努力を重ねているので、ここで装飾的な範囲に逆転することは不本意な感じもあった。

過去二ヶ年ほどの間、布地に描いてみようという欲求が湧いてきて、会員の間で研究を重ねてきた結果、壁掛として室内の壁面に掛けられるような形式の漆絵に発展させるのが布地を生かすと結論づけたのである。漆を使って布地に描いた場合、利点としては大画面を簡単にえられることや、しかもその取扱いが巻物式に容積を小さくまとめることができる。また画面が光沢をもたないから、いかに大きくても観察に都合が良いことなどがあげられる。困難な点としては、布地に漆を多く吸い込ませると乾いて固くなり、巻くのに折れやくなるので思いきった太巻きにする必要がある。そして、画面の艶消し調は同時に濡れ色調を出しえないことは欠点と考えられるかもしれない。漆絵は画面の微妙な光沢や深い黒色の発揮される点が大切な特色だ。これは小さい画面ならば味わえる深味も、少し大きくなれば周囲のものが写って邪魔になるので画面どおりの賞味は不可能である。

“5th Urushi Art Exhibit”

漆は膜状にして相当な弾性がある。布地に描いて充分巻けるのだが、弾性のある特殊な漆を使うのも便利で効果が大きいし、裏面加工によって漆の浸透をある程度抑えることも必要である。顔料はもちろん鉱物性の不変色を使うが、純白の布素地には発色も良い。染色された色布を素地に使う場合は退色の恐れがあるから、ヴァット染料のような堅牢な染色以外は漆絵の素地として用いることは無意味だろう。

中共漆から代用漆としての化学塗料が目覚ましい発展をみせている。無理に漆を使わなくても似たような効果を出せるのではないかという議論がある。事実として人々はすでに漆器だと思って代用漆の塗り物を使わされているように、漆絵の問題にも全く同じことが行われている。漆を使わない塗り物が漆器であろうはずがないと同じように、化学塗料で描かれたものは漆絵でないことは今さらいうまでもないだろう。作品の価値は材質だけで決まるものはないことは自明であるが、材質のもつ分野も作品の価値づけに相当な範囲を占めることも考えられる。子供の砂遊びに似た近頃の前衛美術のある傾向はさておき、鉄や陶器、硝子、セメント等の新しい素材と取り組んでいる前衛彫刻家たちの仕事を見るにつけ、作家はその材質に全く憑かれたように愛着しているのが感じられるのである。

“5th Urushi Art Exhibit”漆に色が少なければ新しい顔料をつくればよい。レーキ(顔料の一種)で色が退色すれば不変色の顔料をつくればよい。発色が悪ければより良くなるように工夫すればよいので、これらはすでに解決ずみである。最近のこう高分子化学が生み出した合成樹脂の美点も、もちろん取り入れるつもりだ。アルキッドやアクリル、エボキシからウレタンまで戦前から戦後にかけてすでに手がけているけれど、これは漆を生かすための方便にすぎないのである。1500年前の飛鳥朝以来から、あるいはそれ以前に我が郷里大和の宇多で行われていた漆工の流れは、どうやら私の血となっているらしい。私は漆が好きなのである。

さて今年の展覧会は出品会員30名で作品38点のうち、壁掛形式のものが14点で大作が多く、布地に描かれた額面が7点と他は漆本来のパネル形式のものであった。会員は皆独自の研究に立って思い思いの自由な仕事をしている。美術上の主義や主張で集まったグループではなく、漆で描こうという意欲で日頃から精進していた作家が会員に推薦された集団だけに、漆の駆使については卒業ずみの工芸家が多いのはやむをえない。年齢や経歴もまちまちで、作品にもかなりの幅が見られる。第一線の絵画運動から見れば歯がゆい感じがするかもしれない。啓蒙期にある現在はこのような動きを毎年発表して行くことによって、日本の若い漆作家たちを刺激して、漆画の世界が有望に展開して行くことだけを念願している次第である。地位年齢にこだわらず派閥にも属せず、自由な集団としてアンデパンダン*風に進めていきたいと思うが、ある程度の絵画的技術レベルと漆を使うという基調だけは筋を通さなければならない。

*アンデパンダン:パリでアカデミーに対抗して、1884年以来開かれている無審査の絵画展覧会があり、それから派生して使われている「独立派の意」。