右から初瀬川、左から巻向川が流れて打合うところこの内側が三輪神社の神域であった。古来からこの水垣内には墓は作らず、天皇陵も城外にある。しきしまの地はこの初瀬川の少し上流、三輪山麓の南方一帯をいい伝えてきた。画面右の古橋は古来の位置で周辺の竹薮はいまは切払われてコンクリートの堤防になってしまった。
45.0×200.0cm 大神神社蔵
1972年(昭和47)