美校を卒業した春、奈良の上高畑で家を借りて2ヵ月ほど、25号を2枚描いた内の1枚で、私のミニアチュアの極点である。存在する形姿の差別と無限の謎の追求が此処まで追込んだのである。ある日大阪から小出楢重氏が不意にやって来られて暫く仕事をやめて美術界の四方山話をした。当時私の絵とは正反対の仕事をしておられたが何か通じるものがあったらしい。この年の二科出品5点のうちでは、この絵がすぐれていると柏亭先生は褒めてくださった。
60.6×80.4cm
1917年(大正6)